プロフィール

はじめまして。訪問ありがとうございます。
声にならない想いをカタチにするカウンセラー 美喜子です。
アダルトチルドレン、パニック障害、障害児のお母さんに向けてカウンセリングを行っています。

カウンセラー美喜子ってどんな人か少しでもイメージしてもらえたらと思います。

まずは幼少期からです。

うちの家族は、父、母、私、妹の4人家族。

私は、おっとりした性格で、あまり目立つ子供ではありませんでした。自分の気持ちを相手に話しができるような子供ではなかったので、いつも、母親が気持ちを代弁してくれていました。また、「お姉ちゃんなんだから」と我慢することを教わりました。これは、当たり前だとおもっていたし、そういうものだと思っていました。

ただ、小学校の頃から、両親のけんかが絶えず、家ではいつも緊張感が漂っていたことは覚えています。学校から家に帰る足取りは重く、両親がそろえばけんかをしていたイメージです。私たちの誕生日の時も、クリスマスの時も、お正月の時もそうでした。あるクリスマスの時は、みんなでケーキを食べる寸前にけんかが始まり、なんとも言えない気持ちでケーキを食べたことを覚えています。その雰囲気に耐えられず、笑顔を振りまいたり、どうしたら楽しくすごせるかで行動していました。

だから、いつも家の中は緊張していて、親の顔色をうかがい、どうしたら機嫌がよくなるか無意識ながら考え、行動をしていました。

高校時代も両親のけんかは絶えず、父親は突然家に帰ってこなくなりました。母親は、父に連絡して、帰ってくるように話していました。そして、私のも母が「お父さんに帰ってくるように言いなさい」といってきました。しかし、私はうまく言えず、母親に「どうしておとうさんに帰ってきてと言えないの!!」とさんざん怒られました。どうしても言えませんでした。自分なりに何とかしたいという気持ちはありました。だから、お互いの言い分を聞き、伝える役割を続けていました。しかし、一向に状況はよくならず、自分が悪いんだと責め続けていました。

私が短大に入って、突然父親は家に帰ってきました。これで、平和になると思った矢先、突然母親がなくなりました。私は、一人暮らしを始めて、生活に慣れてきたころでした。
2,3日前まで電話で普通に話していて、「アパートに遊びにいくね」など明るく話していた母親でした。しかし、突然いなくなり、目の前が真っ暗になりました。状況なんか呑み込めなくてとりあえず、お通夜、お葬式を終えた感じです。妹はその時、まだ高校生で、親戚みんな「妹さんお母さんがいなくてかわいそう」といっているのを聞き、私も母の死はつらく、悲しいのに私はかわいそうではないのだと周りからは見られていると思い込み、自分の感情を押し殺して、平気な顔をしていました。

母がなくなってからは実家に帰ってきて、短大通いました。友達にも恵まれていたはずです。しかし、私の心の中では、なにかみんなと違うと思っていて、壁を作っていました。それもなぜだか自分では理解できずにいました。

短大を卒業して就職をしました。就職先は、障害者支援施設いわゆる入所の施設です。利用者さんの生活全般と、作業を一緒にしたり、外出したりなど自分には天職だと思える業種でした。早番、遅番、夜勤もある仕事。行事の前には、利用者に楽しんでもらいたい気持ちが増し、職員一同で遅くまで残り準備しました。しかし、ある時、私は業務中にいきなり、目の前が真っ暗になり、倒れてしまいました。頭の中で、ブチっという何かが切れる音がしたのです。その日を境に、体調が悪くなりました。朝、起きられなくなったり、出勤行く途中わけもなく泣いていたり、このまま車で電柱ぶつかれば仕事いかなくていいよねと考えていました。今思うと、もう心身共におかしかったのでしょう。

その後、夜勤のある仕事に不安を感じ、退職をしました。結婚をしていたので、家のことをしながら、しばらく家で休養していました。しかし、だんだんと、自分は社会に必要ない人間だなんの役にも立たないと思い始め、昼間人目が気になり、出かけることができなくなりました。その時、起き上がれない、動悸、呼吸が浅くなる症状が出始め生活することもつらくなっていきました。いろんな病院に見てもらい、やっとパニック障害だと診断がつき薬を服用しながら、生活できるまで
回復できました。

1年くらい休養し体調も良くなってきたころ、友人に「ボランティアでいいからおいで」と誘われ、それなら気軽に行けると思い、始めました。

利用者と接し仕事をしていくことは楽しかったです。しかし、ボランティアからパートになり、パートから正社員、管理者になり、3回転職を繰り返しました。1回目は自分のレベルアップのためです。しかし、2、3度目は管理者としての勤務でした。管理者になると仕事も増え、自分ができないことを責めたり、人に頼みずらい、職員の顔色をうかがい仕事をし、次第に疲弊していきました。また、上司が一方的に怒ってきたり、「お前の仕事なくなるぞ」と脅されたり、機嫌が悪いときにあたられたり、それでも笑顔で利用者と接してはいましたが、仕事することに疲れてしまいました。40歳になり、「生きづらい、なんでこんなにつらいんだろう」といつしか思うようになっていました。そんな調子であったので、家族ともうまくいかず、けんかが絶えなかったです。自分でも感情のコントロールがきかず、どうしようもなくなり、心療内科に受診、「適応障害」と診断されました。

そんな時、セラピーに出会い、心理学を学んでいるうちに、自分がアダルトチルドレンであること、自分より他人を優先してきていたこと、自分の感情を無視してきていたことに気づきました。自分が何を考え、どういう気持ちで、どうしたかったのか、いままで考えたこともなかったけど、考えられるようになり、自分で自分を癒すことができることを知りました。そこからは、人目を異常に気にすることがなくなったこと、自分に頑張らないと価値がないとプレッシャーをかけてなくなったり、生きづらいと思うことは少なくなり、今を楽しむことができるようになりました。

体調が悪くてどうしようもなかった期間が10年以上、セラピーにあって「自分が大事」だということがわかって人生が変わったのは1年足らずです。もっと早くわかっていたらと思うこともあります。

今、これを読んでくれているあなたは、ラッキーで、変われるチャンスです。

私は、仕事柄、 利用者さんや、そのご家族、障害をお持ちの児童や、そのお家族など相談にのる機会がたくさんありました。また、セラピーを受けて、私のように自分を犠牲にして頑張っている方がたくさんいることも知りました。

相談に来た時は表情が暗いく、声にも力がない方が、相談した後、笑顔が見られ、声も弾み「ありがとうございました」と帰られる姿をみるのがとてもうれしかったこと、セラピーを受けてみて、私のような生きづらさを感じているひとの助けになりたいと思い、カウンセラーになることを決意しました。

自分はこのままで大丈夫と思って生活をしてきて、あなたは本当の自分の気持ちを気づかず、もやもやした気持ちを抱えなんとなく「生きづらい」と感じている方。いま自分の人生を変えるチャンスです。

自分の気持ちを我慢しないで、自分の好きな人生を歩いて行けるようにわたしはあなたをサポートいたします。

私とお話ししてみませんか?

まずはお試しカウンセリングであなたのお気持ちをお聞かせください。お申込みはクリックしてくださいね。

最後まで読んでいただきありがとうございます。